2013年3月15日 「白井晟一研究会」のHPに新ページ登場!! (白井晟一と前川國男・京都会館) 

2013年2月14日 白井晟一の「履歴CV」を更新、深田康算について詳しく記載しました


2011年11月15日〜2012年4月15日
 第7回「白井晟一展」(京都市内)開催中 !!
      
       
ご予約が必要です. 詳しくは「白井晟一研究会」のHPをご覧下さい.

2011年11月11日 「白井晟一のCV」(年譜)を更新しました

2011年3月31日
 この度の東北地方太平洋沖地震で被災されました方々に、心よりお見舞い申し上げ
      ます.「白井晟一研究会」(石沢 加津子 主宰・京都市)では、3月11日の震災発生後
      から即、東北地方在住会員の安否を確認し、救援物資が必要な方には、3月23日受付け
      再開後から、すぐ宅急便を送ってきました.一日も早く復旧・復興できますように、日々
      お祈り致しております.
      尚、研究会では、義援金などはいっさい募集致しておりませんので、その種の勧誘には
      ご注意ください.

2011年2月5日 
「白井晟一語録」を更新しました


2011年1月30日 「正しいことが伝えられて行かないと、必ず滅びます !!」
     
 高村光太郎記念会事務局長・北川太一氏の御言葉・・・2011年1月28日
 
    
北川太一氏は東京工大出身の高村光太郎研究の第一人者、冷静な論理性と実証性
     
のある多数の著書によって高村光太郎作品を不朽のものにし、また、高村光太郎忌
     「連翹の会」世話役は50回を機会に後進に譲られたが、今も毎年、継続開催され、お元気に
     
出席されている。氏の清廉で温厚篤実な人柄を慕う人は多い) 
  

2011年1月17日 HP白井晟一研究会』で白井作品を鑑賞できます!!
        
 大きな画像でお楽しみ頂けます。是非ご覧下さい.


2010年11月22日
「高村光太郎賞」を追記更新しました(次ページ)
      
群馬県立美術館の展覧会カタログp168「白井晟一年譜」1961年について、
      白井晟一研究会に多々連絡が入りました
.未だ訂正されていないことに、
      再々驚きと憤怒を禁じ得ません.


2010年11月10日
 第6回「白井晟一展」(京都市)では
        秋田・湯沢市に移築され造園も完成してきた美しい「渡部邸」の最新の写真や、
        白井晟一の右腕として活躍し、呉羽の舎など多くの精緻で見事な図面を遺した
        大村健策氏の新しく見つかった青焼き図面も公開しています.

        詳しくは「
白井晟一研究会」のHPをご覧下さい.

2010年10月3日 広津和郎の著書(中央公論社)が見つかり、「白井晟一の装幀」ページに追記
        しました !!

2010年9月5日 「高村光太郎賞」を掲載しました(次ページ)
       
東京造形大学の展覧会カタログp49「白井晟一年譜」1961年について、
       白井晟一研究会に多々連絡が入りました.未だ訂正されていないことに
       驚きと憤怒を禁じ得ません.


2010年8月1日
11月25日まで  第6回「白井晟一展」が白井晟一研究会(京都市)で開催されます.
         図面・建築写真(研究会撮影
及び生前の現場写真)白井スケッチブックのパース・
         装丁・書と解説、臨書等.手にとってご覧頂けます.今年は生誕105年に因んで
         長期開催
→ メールで申し込み必要

2010年8月20日〜25日 「向井正也絵画展」  寝屋川市民ギャラリー(京阪「寝屋川」駅前)
      
いつもお元気で若々しい向井正也先生の卒寿記念かつ初の個展です.油絵・水彩など

2010年7月 
秋田・湯沢市に移築された「試作小住宅」(現在は「顧空庵」)の庭工事が着々と
         進められて います.


2010年5月30日 待望の「白井晟一のデザイン発想」が
                「白井晟一研究会」HPに掲載されました.

2010年6月11日 
「縄文的なるもの  江川氏旧韮山館について」を掲載しました
2010年5月13日
 「白井晟一の書」のページに「建築と書」対談を掲載しました
         
白井晟一が九州の仕事の合間に、初めて黄檗の書を見て廻り、手本としたことを
         語っています.
2010年2月5日 「虚白庵に捧げるバラード」を掲載しました

2010年2月
 「白井晟一 二十七回忌」に白井晟一研究会で最期の写真と新事実 (白井晟一は京都・
        嵯峨野の現場後に倒れたのではなかった!)が公表されました.

            
詳しくは「白井晟一研究会」のHPをご覧ください.
 

2009年12月
「白井晟一研究会」HP冒頭に白井作品のスライドショーを掲載!.     
2009年11月 「白井晟一 二十七回忌」が白井晟一研究会(京都市)で開催され、未公開写真や
        図面などが公開されました.
詳しくは「白井晟一研究会」HPをご覧ください.
 

2009年7月22日 「白井晟一の装幀」( 装幀本/Book Design Works)を更新、詳しく公開
            しました.  

2009年2月 「白井晟一研究会」(京都市内)では、2002年から文化書道学会の無鑑査の先生の
      指導を受けて、共に臨書しながら分析し、未公開の「白井晟一の書」を多数解読して来た。
      それを研究会でも披露している。また、希望者は研究会に参加して、実際に臨書もできる。
       年会費制であるが、1回毎の参加も可。

        (老舗・一保堂の特上の抹茶も味わえる最高の雰囲気と貴重な体験、と評判が高い)
            
文化書道学会」: 全国の書道教育の基盤を成す.

2008年8月
  「1961年 第4回高村光太郎賞 造型部門」受賞 と訂正
        する

    白井晟一全集に記されている「高村光太郎賞に建築部門が設けられ、第1回受賞者となる」と
     いうのは虚偽である。賞の規定には「造型と詩」の2部門しかなく、「造型部門」には最初
     から建築も対象とされていたのである。  
         {cf.『天極をさす』昭和44(1963年)高村光太郎記会編}
      白井晟一研究会が、白井研究所に問い詰めてこの誤りを指摘した。それ以前は白井c磨氏
     は「高村光太郎賞に建築部門ができて、谷口吉郎が審査員になったおかげで受賞できた」と
     公言していたが、指摘されて一言も詫びることなく、自宅(虚白庵)にもある書籍「天極を
     さす」を読み上げた.

  
     他にも「白井晟一研究X・年表27」  (白井c磨 著)
         「建築文化460白井晟一特集・年譜/監修白井彪介・白井c磨」に誤って記されて
         いるので要注意 
      
         高村光太郎記念会のご協力で授賞式には白井彪弼氏・白井c磨氏も出席して署名
      していたことが判明した.
 

2008年7月 親和銀行大波止支店(1963・1975増築が第15回「長崎市都市景観賞」
      を受賞


2008年4月
 2008年5月・6月 会誌『景窓』特集号:京都1・大阪1 が発行されました  
2008年3月
 会誌『景窓』2008臨時増刊号が発行されました
       4月に見つかった全部を掲載――白井作品の見事なパース・図面集


2007年11月
 
白井晟一のスケッチブック(秋田・鷹ノ湯温泉の室内パース)と 図面(鷹の湯と
        稲住温泉・離れ2)が見つかり、「白井晟一研究会」で公開しています

     「白井晟一研究会」が会誌『景窓』を創刊!(随時申込み可)大好評です! 

2007年10月
 「試作小住宅」(1953)が東京から秋田へ移築完了 (但し造園工事等は来春に着工
           予定)

 
      移築後の写真多数は「白井晟一研究会」会誌34に掲載されています       

2007年
 「白井晟一は孤高ではなかった.
         向井寛三郎教授と過ごした欧州生活・・」
    待望の「ドイツ留学時代」「京都高等工芸学校の卒業アルバム〜記念写真」を
    初公開しました。 (「京都工芸繊維大学同窓会」会誌bP P23 掲載)


                      
https://www.kit-obog.com/会誌   

     白井晟一のドイツ留学生活を「白井晟一研究会」が初公表しました。
    これは向井正也氏提供の「滞欧日記」の抜粋に基づく正確な情報です。
    同時に、これも長年嘱目されていた「白井晟一の京都高等工芸時代の写真」
    も「白井晟一研究会」が発見して、今回初公開されました。
    詳しくは「白井晟一研究会」のHPをどうぞ

2006年
  「羽後病院」は実際は高久建設で施工され、その御礼に贈呈された
      直筆の書も保管されている.これは今までの文献を覆すものである.
       
「白井晟一研究会」(京都)が発見・公開!! 

       2006年2月 白井晟一の初期作品、羽後病院・雄勝中央病院図面一式と書類・
    直筆「書」が秋田の建設会社にあることが わかりました.京都の研究会 で、
    公開されました.  (詳しくは「白井晟一研究会」のHPをどうぞ)

   
『羽後病院』(1948年竣工)は、秋田での一連の作品の第一作に当たるもので、
   その後の白井建築の
基を既に見ることができる。木造の立面の美しさもさること
   ながら、平面図は一直線にならずに角度をもち、両翼を広げて来訪者を温かく
   迎え入れるようなデザインは、やがてコンクリートや石造建築にも発揮され、
   『松井田町役場』(1956年)のバルコニーや『松涛美術館』(1980年)の外壁に
   見られる緩やかな凹面のカーブに表れている。また、実現されなかったのが
   惜しまれている『原爆堂計画』(1954−55)にも、カーブをもち左右対称の
   美しいプランが大きな特徴となっている。

  註:
これらの図面は数年来「白井晟一研究会」で探していたもので、勿論
    「羽後病院」へも問い合わせたが「残っていない」という返事。(数年前と
    2006年2月1日・2日) 
    一方、2月同時に建設会社に連絡して見つけることができ、誠実に対応されて、
    早速入手でき、白井晟一研究所の白井
c磨氏が確認しました。 
    京都で特注額装にされ、初公開。
    その後、秋に病院でも見つかったという記事が新聞他に公表されて驚き、早速
    羽後病院に申し入れた所、「大変申し訳ありませんでした。当時は建築(図面)
    に関心がなく・・」と事務長は丁寧に詫びられて、関連記事のカラーコピー
     などを研究会に送られた由。

2002年
 「白井晟一先生追想☆虚白庵を訪ねて」(石沢加津子著)が
       「京都工大会誌No.110・平成14年第2号に掲載される。
      
但し、文中[京都・嵯峨野「雲伴居」の現場で倒れられ]とあるのは、
       詳しく
白井c磨氏に尋ねたが、「{白井晟一)全集に載っている通りです」の
       一点張りだったため信用して記したのである。

  
               
              
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